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ベドルジハ・スメタナ生誕195周年 [今日は何の日]

またまたご無沙汰でした...


起き抜け早々、美しいGoogleトップロゴを目にしました。
今日はチェコの作曲家ベドルジハ・スメタナの生誕195周年。

”スメタナ”と聞くと即『モルダウ』を思い浮かべるくらい
合唱に力を入れていた中学時代を思い出します。

『モルダウ』はスメタナの代表的な連作交響詩『我が祖国』の第2曲。

モルダウ川(チェコ語:ヴルタヴァ川)はチェコ最長の川で
首都プラハを通り、ドイツの都市をも潤し、北海に注ぐ大河です。
その壮大な沿川の自然や街の風景などを奏でる『モルダウ』は
子供心にも見知らぬ土地への憧れを抱かせるものでした。


さて、そのスメタナさん。
一体どんな人物だったのでしょうか。

1824年3月2日-1884年5月12日
当時、オーストリア帝国に支配されていたチェコで生を受け
早くからその才能を発揮し、60歳でその生涯を閉じました。

社会情勢や民族の伝統などを色濃く反映した楽曲の先駆者だったとのことで
その祖国への愛は相当強いものだったであろうことは想像に難くありません。

指揮者やピアニストとしても活躍したスメタナは
6歳で既にピアノ公演をしていたそうで、かのモーツァルトを彷彿とさせます。
きっと”神童”だったのでしょうね。

プラハで音楽を学び、楽曲を作りますが、この時期は鳴かず飛ばず。
やがてスウェーデンに移り住んで、音楽を教えたり、聖歌隊を指揮したり
規模の大きな楽曲の作曲もするようになっていきます。

そうこうするうちに、祖国ではオーストリア帝国の支配は続いていたものの
自由主義的な雰囲気が高まってきたことを受け、プラハに戻ります。
そして、新たなジャンル「チェコオペラ」の分野で名声を得ますが、
その前衛的な特徴のために反発を買うことも多く、論争の的となり
やがて体調を崩し、そのために職も辞してしまいます。
また、そのころには完全に聴力も失っていたそうです。

音楽家が聴力を失うということは、命を絶たれるのと同等でしょう。
しかし、スメタナはその後も作曲活動に勤しみ
その名声はますます大きなものとなっていきました。

それでも、本人の苦悩は相当なものだったのでしょう。
晩年には精神を病み、保護施設に収容されて間もなく亡くなります。
60歳という若さで・・・


スメタナに限らず、”作品を作る”ということは
自分自身を切り売りすることと言っても過言ではないほど
エネルギーを使うことだと思います。

そのような分野で名声を得る人物というのは
凡人とは比べ物にならないほど感受性が豊かで、繊細であるが故に
根を詰めて、なにかの切っ掛けで脆くなってしまうのかも知れません。

でも、こうしてなん100年も経った現在でもその名声は輝きを放っています。
そして、私のような凡人にもその感性の一旦を覗かせてくれるのです。

たまに、こうした記念日にでも故人に想いを馳せてみる・・・
ほんの少しだけ、忙しない日々に潤いを与えてくれる気がします(^^)









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