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手塚治虫のブッダ [アニメ]

昨日から今日にかけて、以前から観たいと思って観ていなかったアニメを
動画サイトで掘り出して(笑)2本観ました。


*手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-
*BUDDHA2 手塚治虫のブッダ2 -終わりなき旅-


少年漫画雑誌に掲載された期間が1972年~1983年。
アニメ1作目の劇場公開が2011年5月。
2作目公開が2014年2月。

どれだけ長いこと観ないで温めていたんだか...(^^;

それはそうと、声優陣がけっこう豪華で驚きました。

主人公シッダールタ(ブッダ) =吉岡秀隆(俳優)
マーヤ妃(ブッダの母)・ナレーション =吉永小百合(女優)
スッドーダナ王(ブッダの父) =観世清和(観世流能楽師)
チャプラ(ブッダ登場までのメイン人物) =堺雅人(俳優)

これだけでも当時は話題を集めたことでしょう。
でも観なかった私...(^^;


シャカ国の王子として誕生し、なに不自由のない環境で育つシッダールタ。
でも、幼いころから身分の違いや、人の死について疑問を抱いていました。

そんなシッダールタでしたが、世は戦乱の最中。
一国の王子として武術を身につけ、攻め入る他国の軍と戦い
国を守っていかなければならない立場にありました。

やがて大陸の強国コーサラ国がシャカ国に攻め入ってきます。
大将として初陣に臨んだ、いえ、臨まざるを得なかったシッダールタは
目の前でたくさんの兵士たちが傷つき、死んでいく様を目の当たりにします。
武術の師である将軍や兵たちに守られ、無事、城に帰還しはしたものの
なぜ同じ人間同士が争い、殺し合うのか・・・と、たいそう心を痛めます。

ある日、城を抜け出したシッダールタは、卑しい身分の女性と知り合います。
そして、彼女の案内で市井の暮らしの厳しさを知ります。
来る日も来る日も、彼女と城下のあちこちを巡り
貧困や病に苦しみ、上位の人間に虐げられて暮らす人々を見ては心を痛めます。
この体験は、幼少のころから抱いていた疑問をさらに深めることになりました。

そんなシッダールタの行動が将軍に知れてしまい、彼女は捉えられますが
シッダールタが彼女を釈放するよう父王に訴えます。
代わりにコーリヤ族の姫と結婚するよう条件を出され、仕方なく了承しますが
彼女は釈放される前に罰として両目をつぶされてしまいます。

やがて、シッダールタは結婚した姫との間に子供を授かりすが、まさにその日
自分の疑問を解消する方法を見つけるべく、修行の旅に出てしまいます。
そしてその旅の最中にも、様々な”世の無情”を目にすることになります。

病のために家族から捨てられた人々が死を待つ様や
裕福な人間の娯楽のためだけに狩られる動物たち。

人間も動物も、生まれてからずっと苦しんで苦しんで、苦しみ抜いて死ぬ・・・
そんな痛みを己のもののように感じ、心を痛め、救う方法はないのかと
さらに辛く苦しい修行をするようになるシッダールタ。
でも、苦行で苦しみぬいて死んだ先に答えがあると信じる他の僧たちの考えにも
疑問を抱くようになります。

それからも様々な苦しみ、悲しみに打ちひしがれたシッダールタですが
その長い旅路の中で少しずつ自然の節理を悟り、己の進むべき道を見つけます。
この世の生きとし生けるすべてのものには、それぞれ役割があるということ。
そして自分の役割は、人々を苦しみから救うことだと悟るのです。

こうしてシッダールタ(=目的を達成する者)はブッダ(=悟りを開く者)となります。
そして人々を苦しみから救うため、死ぬまで諸国を旅することになったのです。



この2作を観てまず感じたのは

ブッダも様々なことに苦しみ、悲しんだ普通の人間だったんだ。

ということ。
まあ、他人の痛みを自分の痛みのように感じて苦しんでしまうという点では
”普通の人間”よりも何倍も何十倍も、それ以上に、悲しみ苦しんだと思いますが。
その結果の”悟り”なんでしょうね。


私はもともと「神話」というものが好きでした。
ギリシア神話、北欧神話、チベット仏教、日本の神話・・・などなど。
まあ、それほど深く掘り下げることもなく、大して知識もありませんし
無宗教ではありますが、昔から寺社仏閣も好きですし
神仏に対しては真摯に手を合わせる性質でした。

・・・が、数年前、ある悲劇を経験してからは
神仏に対して祈ることはなくなりました。

当時は「神様仏様なんていないんだ...」と思いました。
いたとしても、決して助けてはくれない・・・と。

まあ、当たり前なんですけどね。
神様仏様からすれば、助けてやる義理なんてないでしょうから(^^;
それでも、助けてくれなかったことを内心では恨んでいましたね。

あれから時間がたって、今では恨むことはありませんが
やっぱり神仏に心から祈ることはしません。
まあ、寺社仏閣でお賽銭をあげて、かたちばかり手を合わせはしますけどね。
でもそれは、当時の神仏に対する恨みを引きずっているわけではなく
”人を頼ってはいけない” という教訓として昇華した結果だと思っています。

どのような環境にあっても自分を律して、自分で努力して生きていく。
「宗教」はそのための心の拠り所として生まれ、発展してきたのでしょう。
だから、厳しい環境に暮らす人々ほど、宗教がより身近に、深く根づいている。
神仏には、そんな人々の想いが込められている・・・そう感じます。

『ブッダ』シリーズを観て、改めてそのことを心に刻むことができました。
そして・・・・・久しぶりに泣きました。気持ちいいほど。
作中に数年前の悲劇を彷彿とさせるシーンがけっこうありまして...(^^;

でも、たまにはこうして泣くことも必要だと思いました。
というか、いつまでもあの日の想いを忘れたくないんですよね。
大泣きする頻度は時がたつにつれて減ってきてはいますが
ときどきはやっぱり大泣きしたい・・・愛情をたっぷり込めて。
そして、泣いたあとはほんのり温かい気持ちになりました。。。


これからもときどき『ブッダ』シリーズ観ようと思います(^^)






   


   


手塚治虫のブッダ救われる言葉 (知恵の森文庫) [ 手塚治虫 ]

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